こころとあたまは同じのようで別もので、別ものようで同じだという話。
そもそも、あたまって何なの?
あたまは思考する。
考えなくても良い、どうでも良い事を吸収して、他人の感情までにも介入し、どうにもならない事を物語のように広げるのが得意だ。正しさや、当たり前や、常識、こうあるべきという概念に右往左往する。更に往々にしてマイナスに向かいやすい。
それがあたまというものだ。
忙しくて小むずかしい奴なのだ。
ではでは、こころは?
こころは考えない。感じる。
嬉しい楽しい悲しい辛い、とかの感情を持つのがこころ。こころはとてもシンプルで単純だ。
のんびり、ゆったりしている。
感情は思考に左右されるらしい。思考次第で感情が決まるというわけだ。
例えば、憂鬱な妄想ばかりが頭を駆けめぐる時、心はハッピーというわけには行かない。
逆に、楽しみな事があってそのことで頭がいっぱいな時、心はどんよりとはならないわけだ。
ということは、だよ。
あたまはこころをコントロールできる、逆に言えばこころはあたまにコントロールされるわけだ。
それほどまでにあたまは強い。人間の思考はノンストップの独走状態で常にトップを走り続けるのだ。放っておけばぶっちぎる。こころに勝ち目はない。
だけどだけど。
こころはいつもハッピーでいたい。生まれながらにそう願っている。ピュアなこころはどこまでもピュアなのだ。
どうすれば、あたまという強敵に勝てるのか。
それはそう、行動というこころのお友だちに助けを求める事が重要だ。
急に出てきたこの行動は、思考を食い止める事ができる。
何かに集中したり、体を動かしたり、誰かと話したり、とにかくじっと思考にふけらず、何かしら動いてみるのだ。
すると、あたまの爆速を食い止め、こころは喜ぶ。
軽くなったり、幸せな気持ちになったり、楽になったりする。どうやら、そうらしい。
書けば簡単そうだが、コレがまあまあ難しい。
こころとあたま。そして行動。
ややこしき三角関係。
でも、それが人の魅力なんだよね。
ちなみに心理学的な根拠は一切ありません。